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Heavenly Creatures

兎狩りならダンスホール!

3年のうちにレーズンパンのことを忘れた。

最近Twitterを控えている。ときどきタイムラインを眺めているくらい。理由はよくわからないけど「Twitter辞めたい病」に罹患することがよくあって、そういうときは読書がよいくすりです。今月に入り3冊を読み終えて、いまは図書館でようやく予約順のまわってきた宮部みゆき『ソロモンの偽証』(新潮社)を読み始めています。ものすごいボリュームだけど宮部さんなら『模倣犯』もするっと読めたからきっと大丈夫。たのしみです。

 

3~4年前のTwitterのログ(アカウントを消す時に保存しておいたもの)があったから読み返してみたら、三島由紀夫金閣寺』の「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。」ということばを311の一週間後くらいに呟いてていいな~と思った。いやいい文を書いたのはゆきおですが。311の日、わたしは大学生で、春休みのただなかでした。自宅2階の自室で机に向かい夏目漱石の『三四郎』を読み返しながら、里見美禰子の台詞で気に入ったのをノートに書きだしていました。わあ、青い。『三四郎』は大学へ入学する時に事前課題として選んだ本のひとつで、読んだ当時はストレイシープ……なんて囁くし三四郎とも野々宮先輩とも付き合っておきながらどこの馬の骨とも知れぬべつの男と結婚しちゃうしナンノコッチャでしたが、面妖好きな女性で、わたしもこんなお姉さんと池のほとりで出会いたい、などと思いながら美禰子の台詞を謄写していたのでした。我ながら青いです。そこへ大きな揺れが起こって、机の手前に並べていた雑誌が雪崩れ落ちてくるし姿見が倒れ込んでくるし誰か家ごとシャカシャカポテトしているのでは?と思うほどでした。わたしが住んでいるのは仙台の端っこのほうですから震度6強とかそのくらいだったような気がします。わたしは部屋を飛びでて階段を駆けおりました。とにかく家にいてはつぶされてしまうと思って玄関を開け放したまま外へ出て、駐車スペースの、隣家と境になっている壁のところにしがみついて、まわりの家々を見渡しながら、存外みんな落ち着いているものだなと思っていました。平日の昼間だったからかもしれませんが、家を出てきたのはお向かいの若いお母さんだけで、あとはちょうど車道を走っていた車からお兄さんとおじさんの間くらいの年齢の男の人が出てきただけでした。その男の人はカーラジオのボリュームを最大にしてくれて、近所の人に聞こえるようにしてくれましたけど、わたしはそのあと家の中へ戻ったのでどんなラジオだったか記憶にありません。着の身着のままはだしにサンダルをつっかけて出てきてしまったので、とりあえず携帯電話は必要だ、と思って(幸運にもそのときそう思えて)2階の自室へ戻ることにしました。余震はずっと、断続的に続いていましたから階段をのぼるのもひと苦労でした。もとから洋服や本で溢れかえってごちゃごちゃしていた部屋は物が部屋の中央に倒れこんで蟻地獄に引きずられているように見え、"すこぶる"ごちゃごちゃしていました。そのなかから携帯を探し出すのは難しいかと思われたのですが、机の上に置いていましたからこの辺に落ちただろうと検討をつけるとすぐに見つかりました。見つかったというか掘りあてたという感じ。わたしは妙に冷静なもので、その携帯電話で、部屋の入口からちゃあんと部屋の様子を撮影していました。自分の部屋と、キッチンの写真があります。このとき一番つよく憶えているのは、母が仕事へ出かける前に圧力鍋で煮込んでおいた、その日の夕飯になるはずだったおでんがひっくり返っていたことです。寒かったからかもしれませんがおでんがひっくり返って床にぶちまけられているのがショックでした。いま思うとものすごくくだらないけどそのおでん(だったもの)を眺めていて泣きそうになり、キッチンの写真も撮りました。そして外へ出て、玄関でしゃがんで家人のだれかが帰ってくるのを待ちました。雪が降ってきて、揺れはおさまらないし、だれもいないし、心細かったし、寒かったです。その上、携帯電話の充電が切れかかっていました。まもなく、出かけていた父が帰ってきて、わたしに靴下を履きなさいと言う。父はその日は非番だったのですがすぐに自転車で職場へ向かいました。父は消防署に勤めていて、次に帰宅したのはそれから一週間後のことです。

ほどなくして母が職場から戻り、その後高校生の妹を迎えに行ったと思いますが、何時ごろ出て何時ごろ帰ってきたのか憶えていません。わたしは電気も水道もガスも、明日の朝には元通りになるだろうと考えていました。次の日、父の車のカーテレビをつけてニュースを見たとき、これはわるい夢かな?と凡庸ながら思いました。わたしの住んでいる地区は割りと復旧が早かったと思いますが、電気は3日後くらい、水道は10日後ぐらい、ガスはもうすぐ4月だというころに直りました。一番いやだったのはお風呂が使えないことで、自分の垢のにおいと、手のべたつき、何よりあたまがかゆくてかゆくてたまらず掻きすぎてよく血が出ました。ドライシャンプーは合わなかった。母と妹は近所の銭湯へ何回か行っていましたが、わたしはわたしとおなじような人が浴場へ何人もぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだと思うと行きたくありませんでした。潔癖というわけではないんですけど。でもいろんなことに敏感になって、こころにとげがいっぱいついているみたいになっていました。

わたしが外へ出るのは給水をもらいにいくときぐらいで、あとはひきこもっていました。最初のうちはテレビのニュースを見て(海沿いに親戚が多いので気になって)いましたが、そのうちうるさくなって嫌になってしまいました。石油ストーブの前へ座って、石油が足りなくなるとリビングの大きい窓にべったり背中をくっつけて、図書館から借りていたエラリー・クイーンを読みながら日向ぼっこしていました。日向ぼっこしながら読書していたのではなく読書しながら日向ぼっこしていただけなので実際読書にはあまり集中していませんでした。結局クイーンは読まずに返却してしまい未だに読み通していません。日向ぼっこしていたのはどんどん憂鬱になって気分が沈んで、やっぱり人間は太陽のひかりを浴びないといけないんだ!と思い立ったからです。わたしは地震津波に関する色んなワードを目にし耳にするだけでなみだが出るようになっていました。テレビでインタビューを受けているひとびとの訛りを聴くだけでも泣いていました。何が悲しいか苦しいか考えているすきもなく条件反射してしまうのでした。さてそのうちからだもなまって重たくなってきたので、音楽を聴きながら近所を散歩するようになります。何かしなくちゃと思いながらも何もしていなかった。何もしていなくても許されると思っていることが後ろめたくてせめて自分はりっぱに心地好くうつくしく暮らしているようにふるまっていました。ベッドに香水を振ってスーパーで手に入れた日東紅茶を飲んでクイーンを読み気が向いたら散歩に出かける!マリアこれが贅沢貧乏ってことね!ただそれらしくふるまっていただけで、自己満足で終わったわたしの被災3週間でした。あの日たしかになにかが変わったけど、わたしの行動範囲は(今日も)これっぽちも変わっていないように思えます。「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。」……

Twitterログには、「お隣のおばさんからレーズンパンを一斤まるっと戴いた」らしいことも書いてありますが記憶にありません。美味しそう。食べたい。思い出さないと忘れてしまう。3年も経てば。